今回は介護の話です。
私はハンドメイドしながら、訪問介護事業所のパートのヘルパーをしています。
そして、若い時に九州から関東に出てきて、今、親の遠距離介護問題を抱える一人です。
「私は恵まれている方」だと思っていて、
母は倒れた後、要介護になったのですが、父が頑張って最期まで看てくれました。
私は申し訳ないと思いつつ、自分の家族、仕事で手いっぱいで、年に1度数日帰省して、実家に着いてから帰るまで、一生懸命家事をし、母の相手をして…という事しか出来ませんでした。
そして今度は父が歳をとり、体調に不安を抱えながら、自宅での一人暮らしをいています。
ここで登場してくれたのが、父の妹、叔母さんです。看護師で現在も介護施設で働いています。誰よりも頼りになります。
父が短期間ですが、不調で入院した時に、介護認定を受けるように進め「支援1」。退院と同時に週に1回、お掃除の支援を受けられるようにしてくれました。
ビックリしたのは「週に1度、本人が使用する部屋の掃除」だけのはずですが、帰省した時の大変だった清掃がとても楽になった事です。
「母の時も、頼めばよかったのかな」
まだ元気だった父が受け入れたかは怪しいところではありますが、デイサービスに通うだけでなく、日常生活面も助けてもらうべきだったか…
そういう思いに加え、電話やメールで父の病院での検査結果や体調の説明、介護サービスの事など、叔母が報告してくれる内容がわかるようでわからない…。
母は父に任せきりで、その父も叔母に任せきりか?
それで良いのか?自分の親だぞ?
専門的な医療の事はさておき、せめて介護の事は叔母の言っている内容が解かるようになりたい。できればしっかり会話ができるようになりたい。
一昨年、4日間の介護入門的講座を受け、昨年初任者研修を受けました。
近くの訪問介護事業所が、自治体から依頼されて開催している認知症カフェにボランティアで入ったのをきっかけに、その事業所に所属。
週に1度、ちょうど父が受けている支援と同等の、おひとりの生活支援をしていましたが、現在は少し人数、回数が増え、身体介助もしています。
「恩おくり」
父の介護を人任せにしている後ろめたさが少し和らいでいる感じです。
叔母の話も、わかる内容が増え、受け答えできるようになってきました。
☆介護サービスの内容を見直す
父は年毎に少しづつ状態が落ちでいきます。電話は耳が遠くてこちらの言う事が聞こえない。言いたい事を言って切る状態。メールも出来ないので大事な話は手紙になります。曾孫の写真プリントを添えて。回数重ねれば、時間も費用も地味にかかります。
更に、叔母が脚を手術したり、仕事もあったりなので「我儘で頑固な兄」の負担をへらす事を考えなければならなくなりました。
叔母の提案は「週1回のデイサービスと訪問のお掃除 → 小規模多機能型居宅介護」
おお!小規模多機能!
初任者研修で、地域密着型のサービスの1つとして出てきたのですが、
「通い(デイサービス)」「訪問(ホームヘルプ)」「宿泊(ショートステイ)」を組み合わせて利用者が居宅(自宅)で日常生活を送ることを支援するサービスです。
説明を聞きながら、自宅で花や野菜を育て、コソコソとあれを作ったり、これを作ったり。じっとはしていられない父にピッタリのサービスじゃない!そう思ったのです。
※地域密着型サービス…要介護の人も出来るだけ自宅や住み慣れた地域で安心して暮らせるように提供される介護サービス
「叔母さん、私も小規模多機能が良いと思う」
意見が合った事、即答出来た事がとても嬉しかったです。
☆本人が希望する介護と周りが良かれと思う介護
叔母は小規模多機能型の施設の一覧表を送ってくれましたが、どこがどういう施設なのかわかりません。
父の事も各施設の特徴も分かっている叔母に任せました。
叔母がピックアップしたのは、病院が母体の施設。その病院は大きな医療センターの近くで、何かあったらすぐ搬送できるという事もポイントでした。
あとは父に話して了承してもらうだけ…のはずでした。
「今のデイサービスで良い」
話を聞くと、昔の職場の同僚が同じデイサービスに通ってくるようになって、話し相手が出来た。楽しいと。
そう。叔母と話したのは、「小規模多機能に変更するのは父の為を思った私達の都合」。
父の希望とは違うのです。
父にどうしてサービスを変更するのか、デイサービスと小規模多機能はどう違うのか、説明して理解してもらうのは難しい。
施設の方と叔母が話をし、とにかくお試してみて、という形で渋々了承してもらいました。
週に2回、入浴目的で施設に通い、週に1度自宅の掃除をしてもらう契約です。
その他、柔軟に父の不便に寄り添ってもらえる事になっていて「証明書を紛失したから役所に再発行代行」とか「薬が切れたので病院に付き添って」とか、すでに動いていただいています。この部分を支援してもらえると、叔母が楽になります。
そして、担当の方とはメールで連絡を取り合っており、今までの叔母に加えて見守りネットワークが出来たような気がして心強いです。
そして父の方も…
「風呂に入った後、そんなにしないうちに家に帰るんだよなぁ。ちょっと物足りない気もするが、まぁ、しばらく通ってみるよ」
あら、物足りないですか。
気に入っているようではあるので、ホッとしています。支援を受けているうちに、だんだんと私や叔母が支援内容を変更した意味がわかってくると思っています。
☆「どうにもならなくなったら」ではなく「協力して長く元気に」
もう終わってしまったのですが、ここで1月に見た映画の話。
「VORTEX(ヴォルテックス)
映画の画面を左右2つに分割して、片方では心臓病でもう長くない夫を、片方では認知症でもう長くない妻を、ただ映し続ける映画を上映します。共に住む男を夫と認識できず妻が怯え、徘徊する妻を探して夫が呼吸を乱していく様は、100%のホラー映画であり100%のラブストーリー。言葉を失います。本当に。 pic.twitter.com/Ft4rm41dlt
— サールナートホール/静岡シネ・ギャラリー (@Sarnathhall) 2023年10月17日
観た映画館 ↓
***** Story(公式サイト、HP引用)*****
映画評論家である夫と元精神科医で認知症を患う妻。離れて暮らす息子は2人を心配しながらも、家を訪れ金を無心する。心臓に持病を抱える夫は、日に日に重くなる妻の認知症に悩まされ、やがて、日常生活に支障をきたすようになる。そして、ふたりに最期の時が近づいていた…
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レビューを見ると「2分割で見辛い」とかいうご意見も多かったのですが、私はそんな事はなく面白いなと。おそらく、観る人の立場や思い入れで、見方が違うんです。例えば、徘徊する認知症の妻を見るか、探す夫を見るか。両方を見比べるように見るか。
淡々と映される二人の日常、家族、夫婦のかたちを「介護ヘルパーとしては…」の様な感想は無粋ですが…。
考えた事は2つ。
1つは「何が幸せかは人それぞれ」
住み慣れた家で苦労してでも今までの生活を続けるのか、施設に入るのか。
前にも「本人が希望する介護と周りが良かれと思う介護」と書きましたが、周りの人がいくら「こちらが良い」と説得しても、本人にとっては違う場合もある。
また、介護される人が、自身の意見を言えない場合、介護している人の都合に添った介護になってしまいがち、という事。
この映画を見ながら、「夫はそうしたいんだろうけど、妻はどうなんだろう。そうじゃないよね」と何度も思いました。
もう1つは「家族でがんばろう」や「どうにもならなくなったら、助けてもらおう(施設に入ろう)」はダメだ、という事。
映画では「家族で」と頑張る夫が段々追い詰められ、命を削っていきます。それは極端だけれども、現実に、介護が必要なのに「まだ、人の世話にはなりたくない」「家に入れたくない」と拒否される方もいます。私の父もそうでした。
身内の方もそう思う方もいるでしょう。
でも、自宅で長く生活したいのなら、早い段階で相談して何かしらのサポートを受けたり、健康増進プログラムの情報を得て講習、イベントに参加したり、家で実践してみたりするのが良いと思います。
「フレイル予防」なんて、よく聞きませんか?これも「健康寿命を延ばしましょう」の一環ですね。
元気でいるために、一人で、あるいは身内だけで頑張らないで欲しいと思います。