「あら、久しぶり。元気?」
仲良くしていたママ友に、ばったり。
子供達が小さい時は、お互いの家を行き来していましたが、大きくなり、選んだスポーツが、野球とサッカーだったり、進む学校が違ったり、自分達も働きだしたりで、会う機会は少なくなりました。
でも、会うと、変わらず。
「今日、〇〇(彼女の次男の名前)のところ、二人目が生まれたのよ~」
「え~!今日?!おめでとう!」
あの引っ込み思案で、お母さんの後ろに隠れていた子が、今は二人の父ですか!
と言う訳で、急いで下の写真と同じ新生児スタイセットを作り、郵便受けに入れました。
(実物は、写真撮るのを忘れました。)
これで、今年、プレゼントしたスタイは4枚目です。めでたい。
話は変わりますが、2025年問題をご存じでしょうか。
少し前に、私は介護の入門の講義を受けました。
2025年問題は、講義の初めでも触れていましたが、
1965年ぐらいには、1人の高齢者をたくさんでささえる「胴上げ型」
それが、2012年ぐらいに「騎馬戦型」に。
2025年には、団塊の世代が75歳を迎えるます。
今のままでは、2050年ぐらいには「肩車型」になってっしまう。
介護どうする、社会の労働力どうなる、という問題。
講師の方は「2025年問題も、だけれど、その団塊の世代の子供達が、後期高齢者になった時がもっと怖い。」と仰っていました。
本当に、その通り。
お世話してくれるのは、人間ではないかもしれませんね。
次の世代って、大事。
少し、父の話を書きます。
母を一生懸命介護して、周りは父を褒めていたけれど、父は自分の為でもあったと思うのです。「一人になってしまう。」
そして、ほんとうに一人になって、身体が少しづつ衰えて、入院。
退院後、コロナ禍で1年延期した長男夫婦の結婚式に出たいと、体調を整え、上京できるまで復活。
その後、だんだん気弱になって「もう、施設に入りたい…」
このタイミングで、私と長男夫婦が、赤ちゃんを連れて来ると決まって、気力充実。
庭をいろいろいじってみたり、「食べさせたい」と夏野菜作りに気合が入ったり。
今の父を元気にしているのは、子、孫、曾孫の帰省やイベントです。
歳をとってからの一人暮らしは、想像できない寂しさがあると思います。
周りの友達、知り合いも、年をとり、亡くなったり、会えなくなったりするのですから。
車も手放し、行動範囲も狭くなりました。
孫、曾孫の存在が無かったら、今の「年をとって衰えても、父らしい父」ではなかったかもしれません。
ここで頼もしい叔母にも登場してもらいましょう。
ブログでも度々書いていますが、看護師で介護職。
「私にとっても親のようなものだから、兄さんは見るよ。」と言ってくれています。
「まだまだ一人で生活できる。人には頼らん」と言っていた父。
入院したタイミングで叔母から「入院している間に介護認定してもらおう。認定されるか、微妙だけど。手続きも私がするよ。」と提案があり、「お願いします。」
そして、要支援1の認定を受けたのですが、今度は父から「退院したいが、ヘルパーさんが決まらないから退院できない。」と電話が有り。
叔母にその旨伝えると「うん、うん、わかった。何とかするよ。」と。
(私も、なぜヘルパーさんが決まらなかったのか、講義を受けて分りました)
その後、すぐに決まったヘルパーさんには、週に1回、家のお掃除をお願いしています。
それだけでも、帰省の時の掃除は随分楽になりました。
日々暮らす父は快適になったはずです。
そして、少し前の事ですが、父が電話で「昼間、草むしりしていて、立ち上がろうとしたら具合が悪くなって、しばらく座って良くなるのを待った」と。
「立ち眩みかな」ぐらいにしか思いませんでした。
その2、3日後、叔母から「兄さんが、電話に出ないから、様子を見に行ったら、『クラクラするから休んでいた』と言う。明日脳外科に連れて行くね。」と連絡が。
結果、軽い脳梗塞を起こしていたと。
「かかりつけの病院で出してもらっている薬を見たら、前出ていた血液をサラサラにする成分のものが無いから、一緒に病院に行ってくるね。」
もう、何を言われても、「はい、わかりました。お願いします。」としか返事ができません。
結局、主治医が変更になった時に薬も変わったようで、今回の検査結果を踏まえて、血液サラサラの薬は必要だが、脳梗塞を起こして脳が腫れている状態なので、今出すと、今度は出血してしまう。
しばらくして、もう一度MRIを受けて、落ち着いていたら出しましょう。という事でした。
そして、この時した検査結果と先のの神経外科の検査結果も持って、「介護状態を上げてもらいたいから、認定の人に来てもらうから。私立ち会うから。」
段取りが見事!
知識があるって、こんな事をいうんだな、と身に染みて思いました。
私は「立ち眩みでは?」で済ませていました。叔母が気づいてくれなかったらどうなっていたでしょう。
後になって、「今思えば、あれが…」いう典型的な例になるところでした。
そういう訳で、医学は無理でも、介護はもう少し、勉強続けようかなと思っています。
「恩おくり」も実践しないとね、という事で近くの訪問看護事業所に登録してきました。
「講義の修了証明書のコピーを持ってきてね。」と言われ、「あの講義の修了書も役に立つんだ。」とビックリ。
この修了書のお陰で、要支援1の「身体に触らない介護」掃除、洗濯、お買い物ならできるとの事。
続くかどうかは分かりませんが、ハンドメイドの時間とバランスをとりながら、1週間に何時間か、入れれば良いなと思っています。
まだまだ思っている事はありますし、お仕事も続けられるようなら、別枠でブログ、書くのも考えています。
「ハンドメイド、作るのに時間かかって、記事、書く時間無い。」て、いつも言っているのにね。
とにかく、やってみます。