OEY ***モノつくり再開***

制作の過程、思った事、作品を記録します。

今はもうない。

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タイトルが森博嗣さんのミステリー小説のタイトルと同じになってしまいましたが、

へんげさん(id:nunohenge)のブログは読ませていただいていると、

近いものがあって、懐かしくて。

特に、住みたいところ、ではなく、住んでいたところのお話では

もう、グッときてしまって。

 

nunohenge.hatenablog.com

へんげさん、勝手に貼ってごめんなさい。

(嫌だったら言ってくださいね)

 

もう帰りたくても帰れないとことの話をしたくなりました。 

いつもと趣向が違いますが、良かったらお付き合いください。

 

私は田舎の高校を出た後、

東京の洋裁学校に通うため上京しました。

1年間寮に入った後、一人暮らしを始めました。

 

洋裁学校の宿題は半端ではなく、

ボディを持って帰って課題をこなし、

また授業を受けるのに必要なので学校に持っていく。

満員電車です。

「ボディに残っていたマチ針で隣の人を刺した」とか

「押されてボディの胸が変形した」とか聞いていたので

キャサリン(私のボディ)を担いで満員電車。私には無理。

徒歩圏内で。

そういうわけで、西新宿に住むことにしました。

高層ビルが倒れてきたら下敷きになりそうな場所です。

 

え、そんな家賃高い所に?

 

いえいえ、まだ都庁も建っていない頃の話です。

ヒルトンホテルより西側は昔ながらの住宅街が残っていたのです。

知り合いの紹介で、良家のお宅にお世話になることに。

1階がお住まいで、2階が4.5部屋、女の子限定で貸すようになっていました。

京間4畳半。1口コンロ。トイレは共同。お風呂は近くの銭湯。

まるでフォークソングの世界。

 

それで私のミシンは足踏みなのです。夜中使っても階下に迷惑かけないように。

ロックミシンは仕方ありませんけど。工程を考えれば何とかなります。

 

《TOM、男の子を連れてくる》

 

場所柄、電車がなくなったり、課題を一緒に片付けよう、という時はお友達が泊まったりもしましたが、

ある時、この女子専用の住まいに男の子を連れてくることに。

 

その子は同級生で才能あふれる子。

授業、課題の他に、応募するコンテストに次々デザイン画が審査通るものだから

それも実物を作らなくちゃいけない。

通学時間も結構かかっていて、とうとう過労で体調を崩してしまいました。

 

丁度、私の向かいの部屋が空いたので、ダメ元で大家さんに掛け合ったら

連れてきてみて、と。

面接の結果「この子なら大丈夫ね」

そう。大丈夫な雰囲気の子だったのです(笑)

 

学校内で誤解されないか、という心配もありましたが、

誰も一欠けらもそんなことは思わなかったようです。

二人のキャラがそうだったのでしょう。

まあ、そうだよね。という感じです。

 

たまに、彼の作品作りを手伝ったりしましたが、

最重要課題は、彼を起こす事。

朝の7時にドアをノックしながら「おい、起きろ!」

 

ある時、それでも遅刻してくる。

「ねえ、TOMちゃん。俺がさ、起き上がる気配がするまで声かけてくれない?」

「はぁ?!」

 

それからは

「おい、起きろ!起きたか?」

ドアにはめ込んでいるすりガラスに映る動く影を確認して自室に戻ったのでした。

 

《地上げで立ち退き》

 

1階の大家さん一家はとても仲が良く、穏やかな感じでしたが、

土地を売る売らないの話が持ち込まれて、

ある時から雰囲気が一転しました。

たまに言い争う声が聞こえたりもして。

 

近所の知り合いは「テーブルに札束を積まれるのを見て、お子さんの人が変わっちゃったみたいよ」

本当かどうかはわかりませんが。

 

そのうち、大家さんがいらして、「契約は3月だけど、今年いっぱい居ていいから引っ越してもらえるかな?」

 

すっと後になって、「地上げはココから始まった」みたいなテレビの特集で、

まさに、その家があったところ(その時は駐車場になっていました)が写ってビックリしました。

 

今は大きなビルになっているようです。

隣に連れてきた彼は、私より少し先に出ました。

そして、数年前に病気で亡くなりました。

 

 

《引っ越した先も西新宿》

 

今までの新宿中央公園の北側から西側に移りました。

3階建てで、1.2階はワンルーム賃貸。3階が大家さんのお住まいでした。

6畳にキッチンとバス、トイレ付。

就職もしたので、少しランクアップしました(笑)

 

移った先も下町の住宅街そのもので、曲がりくねった細い路地や階段もある。

そんなところにたくさんの家が建っていたのです。

パソコンもスマホもない時代。

口でもなかなか説明がつかない。

遊びに来る人は、最初は大通りで待ち合わせて連れてきました。

 

《迷うからお願い、来ないで》

 

ある時珍しい事に熱が下がらず1週間ぐらい寝込んだ事があります。

寝込むこと自体が珍しく、心配して田舎から母が出てきたぐらいです。

勿論、仕事も休むのですが、同じ部署の先輩がお見舞いに行きたいと言ってきました。

「いや、お気持ちだけでありがたいです。ほんと、入り組んだ所なので、迷うので。」

と丁寧にお断りしたのですが、

「大丈夫よ、わかるから。仕事終わってから行くから」

 

結果は、ご想像の通りです。

私は熱がある身で表通りまで出て行くはめになりました。

おいしい果物をいただきました。

ありがとうございました。

 

 

ここには結婚するまで住んでいました。

家賃は振り込みではなく、大家さんに直接持って行きました。

住居人皆さんにそうしていたかは知りませんが、

私が持っていくと、一緒にお茶を飲みましょうと誘ってくださいました。

引っ越す前日、清算と挨拶に伺うと、

「ここもね、そのうち土地を売ってくれって話があると思うの。

 その時は、単独で交渉しないで隣の人と一緒に売ろうって話をしているのよ」

実際のお年は存じませんでしたが、結構高齢のようにお見受けしたので

最後まで、慣れ親しんだお住まいにいられると良いな、と思いました。

 

 

それから10年後、ぐらいでしょうか。

仕事で担当の得意先が近かったので、一度行ってみたのです。

細い路地も足が覚えているはず。

表通りから見た感じは許容範囲の変わりようで、

「ここの道を入って…」までは順調でしたが、

 

わかりませんでした。

 

いえ、この言い方は正確ではありません。

大きなビルが建っており、周りも整備されていて、

「この辺り」としか、言えなくなっていました。

 

私の大事な思い出の場所は、今は、もう、失くなっていたのでした。