最近父絡みの製作が続きました。
お題の「お父さん」で何人かの方が書いておられるのにつられて、
私も書いてみます。
現在の父は、田舎の自宅で一人暮らしをしています。
母は一昨年、亡くなりました。
家庭菜園や、たまに海釣り等して、平凡に穏やかに暮らしています。
元々口が重く、昔、快活で良く話す母の姉達からは「TOM父に話しかけても、
返事は明後日にくる」とよく言われました。
しゃべらない。どっしりとした雰囲気。
食事中、会話しようものなら「黙らんか!」と怒られるので、
私は、高校を卒業して家を出るまで、どれだけ父と話したのか・・・
そして最近、私の長男(父からは孫)には、いろいろよく話しているのが
わかりました。
「私、聞いてないよ」そんな話がポロポロ出てきます。
父は、ある競技で長年活躍したのですが、私は見に行った事も、直接話を聞いた事も
ありません。
ところが、孫とは、競技の正装までして、大きなトロフィーと一緒に
写真を撮ったりしています。
まあ、幅広くいろいろ話が有りますので、私の記憶と一緒に、バクっと時系列で
書き留めたいと思います。
※若い頃
生まれ育ちは田舎の田舎。一家の生活のために、早くから働いたそう。
現在、親が残した森林を持っていて、いろいろ面倒なので売却しようと
したようですが…
「命を繋いでくれた山だから」
苦労したんだよね。無理して処分しなくて良いよ。
弟よ、後はよろしく。
母との結婚が決まって。
「背広ではなく、いつもの自然な写真が欲しい」と母。
父は自衛官。迷彩服に銃を持った写真を。物騒な。
良く見ると、ヘルメットには草ではなく、花。
父は旗の担当だったらしい。
旧国立競技場の聖火台、背後に写る、立ち並ぶ万国旗は父たちが揚げたそうです。
ボーイスカウトと国旗の掲揚の練習をしている時、上げた旗が、ポールに絡まり
ロープを引いても降りてこなくなりました。
「仕方がない、登って解いてくるけど、降りてくるまでみんな声を出すなよ」
そう言って、父はポールを登って、絡まった旗を払って解きました。
風に乗って、パッと広がる旗。、
すると見ていた人たちから大歓声が。
すり鉢状の競技場に響いて、ポールの上にいる父は恐ろしい音になって下から響いてきます。
競技場+ポールの高さで、落ち着くまでしがみ付いているしかなかったと。
表彰式の国旗も担当していて、順番は勿論、表裏左右上下、間違いないようにセット。
直前に、逆転で国が変わったりすると、大変だったと。
知っていると良いですが、知らない国旗は尚更慌てますね。
父は、日の丸の赤い丸と五輪マークの立派なポスターを持っていますが、
随分猫にひっかれて、傷んでいます。
私は最近、初めてみました。猫には見せていたのですね。
※私の子供時代
朝、学校で友達が言う。
「昨晩、自転車の後ろから、バイクがずっと付いてきて、怖いけど
振り返ってみたら、TOM父だった。
ライトで前を照らしていてくれていたんだね。」
すると、他の子が、
「そうそう、持久走大会とか、具合悪くなって脇にしゃがみこんだ時、
最初に飛び出してきて、介抱してくれたよ。顔は恐いけどさ、優しいよね。」
え、皆、なんか、ごめんね。
そして、私には、恐くて、恐いです。
車庫から、棚から、バッグも自分で作ってしまう父。
母がコッソリ言う。
「棚とか欲しいと言うと、作っちゃうでしょう。たまにはね、お洒落な既製品
置きたいな、って思うのだけど…」
なるほど。
そして、作るけど、片づけない。散らかりっぱなし。
そこは、私にバッチリ遺伝していると思う。
※孫達(私の子供達)の夏休み
子供達が小さい時は、一緒に帰っていましたが、
ある程度大きくなったら、子供達だけで帰省させました。
小学校の夏休みの宿題は、父が「何にしようかな?」と。
いや、違う。それは良くないから。
ある年など、貝殻の採集をする(させる)という事で、
綺麗なケースを作って待ち構えていました。
「探しに行って、貝が無かったらいかんと思って、
前もって砂浜に埋めに行ったのだけど、流されて、無くなっていた。」
そう、それで良かったんだよ。
※母が倒れてから
父から電話。
「大した事はないのだけど、お母さんがちょっと血を吐いて、入院したから
一応言っておく。大したことはないから。」
おかしい。
前に母は交通事故で入院したのだけど、心配かけたくないと
誤魔化して知らせてくれませんでした。
そう話しているうちに、病院の担当のお医者様から電話。
「すぐに来てください。お父さん一人では無理です。
もう一度、吐血すると厳しいです。こちらに着く前に、そういう事も
有りますから、お伺いしますが、延命処置はどうしますか?・・・」
絶句。
弟も帰ってきて、3人で24時間付き添いです。
父に、ゆっくり休んできてと帰宅させるのですが、3時間もすれば戻ってきます。
お父さんがそんなじゃ、私たちも休めないよ。お願い、寝て。
母の意識が戻って、一安心。
病室に、理学療法士さんが手足の動きをチェックに来た時。
「あ、お父さんは、お母さんが運ばれた時、バケツを下げてきた方ですね!」
はい、そうです。
気持ちが悪いと、母が吐いた時、食べた物かと思ったら
血だったので、とっさにバケツで受け止めて、
「これだけ吐きました」と持って行ったと言っていました。
大きな病院ですが、有名人になっていたようです。
母は一命を取りとめましたが、後遺症が残り、車いすに。
田舎の家は、玄関が高い。
どうするのかな。
幅の広い分厚い板を滑り台のように立てかけて、その上を、
車椅子ごと一気に押して登る。
ええ~、そうしますか。
家の庭に、3mぐらいかな、長い棒が立てられました。
「これ、何するの?」
「釣ってきたアジ等、干すのに使う。あれだけ高いと蝿が来ないから。」
低くても、網をかけていれば大丈夫だと思うけど。
まあ、好きにして。
ちなみに、干したアジは、母が食べやすいよう骨を抜いていました。
そんな父も年をとり、母の面倒をみるのも大変になって来たので、
母は施設に入る事に。
毎日、食事の時間に世話をしに。洗濯物も。
スタッフさんが褒めてくれたけど、
お父さん自身も、寂しかったんだよね。
※最近
母は着物をたくさん残していて、管理が大変だと、その一部を送ってきました。
浴衣を半袖のシャツにしてくれと言うので、製作。
着物と一緒に、父が魚釣りでよく着ていたベストが入っていたので、
縫ったシャツと一緒に送り返しました。
シャツのお礼の電話。
「知り合いが店を閉めるので、付き合いでネックレスを買った。」
(お、縫製代かな?)
「嫁さんに。(私の長男のお嫁さん)」
(あ、ああ、なんだ、そうなの)
「それから、なんでチョッキ(ベスト)を送り返してきたか?
俺には小さくなったからお母さんに着せていた。
TOMに送ったのに。」
ええ~、お嫁さんにはネックレスで、シャツを縫った私には、
お父さんのお古のそれまたお古のベストですか!
その後、もう1点、私の子供の時の着物と、母の羽織で掛軸風壁掛けを
作って送りました。
そうしたら…
「居間の人形ケースが乗っているタンスを寝室に移動して、
タンスがあったところが、空いて寂しいなと思っていたところだった。
早速、そこに飾った。
で、元々寝室に合ったタンスを動かさないと、今から移動したタンスが
入らないから、少し動かして…」
お父さん、もういい、止めて、止めて~。
今週のお題「お父さん」